トキコと鶴瓶や、侠客のこと、あるいはrailways

ナナちゃんは、加藤 登紀子の「ほろ酔いコンサート」というのに、
もう何年もいっているんだな。
友達が後援会の会員になっているので、いい席を取れるらしい。
新宿・歌舞伎町でやってたころは、たる酒をみんなで飲みながら、どんちゃん
騒ぎになって、1年を終えてたらしい。
全学連世代の第9コンサートみたいものだ。
で、今年は、おれと行きたいといいだした。
おれは、そーゆう、品のない場は嫌いだからイヤだったんだが、純音楽鑑賞の
立場から、いくことにしたのだ。
会場はこの数年前から、有楽町の読売ホールだから、まあ、まともな
雰囲気ではある。
紙コップにすこしの振る舞い酒をいり口で渡されて、そふぁーで飲んで、それから
コンサートの開始@@
ううう、むっちり太った、トキコおば様が登場したら、がががが、周りの(ほとんど
60以上の終わりかけた)女どもが、立ち上がってぎゃーぎゃー騒ぎ出した。。
おい、勘弁してくれよと思ったのだが、歌はうまいから、目を閉じて聴いていた^^
imagine やpower to the peopleを、太い声で歌いあげるし、座り込んで
知床旅情、まあ、並みの歌手じゃないね。
50年近く死んだダンナとの思想を暖めながら、決して、思想言葉では、
そのようなことを語らない。
power to the peopleにしても、意訳を交えながら歌ったのだが、ジョンが意図した
「人民」の風などそよぎもしなかった。
もっと広範な意味での人々、かれらにたいして、生きる力を、という意味で、シャンソン風に
絶叫しておりました。
ゲストが鶴瓶、彼と彼女が歌ったのが、河島英五の名曲「生きてりゃいいさ」
鶴瓶は、せつせつと、うまかった。
トキコは、同時代のおんなにとって、任侠の親分なんだな、おれにはそー思われた。

伊集院の書き物は、みんな追いかけているんだが、「羊の目」これは任侠をとおして、
魂、宗教のことまで書こうとした駄作。
まったくつまらない小説だとおれは思っているんだが、取り巻きは大作だと書いている^^
人間、背伸びをしてもダメだ。
で、内容はともかくとして、ここに出てくる任侠の親分と子分の関係が、なにやら、
トキコとファンの関係に二重写しになる。
いつだったか、大阪ブルーノートに、大阪のオナゴとソウルを聴きにいった。
そのときも、オネーサマたちが立ち上がってギャーギャーやっていたが、あれとは
すこし違う。
トキコファンが、トキコおば様が死んでも切腹するとは思えないが、時代をともに
歩んだ戦友の死、そうとうにガックリくるんじゃないかと思える。
こーゆうファンのあり方というのは、敗戦、外来文化の洪水、経済の高度成長、
受験戦争、心の置き場、社会衰退のなかで漂流を続けた団塊世代特有のものかも
しれないけどね。

で、はなしを少し戻すと、railwaysって映画をやってますね。
NHKの有働由美子(おれはまさにファンなのだが)が、主演の三浦友和@@を番組に
呼んで強力推奨(おれには、そー思えた^^)
富山が舞台なので、ナナちゃんが行こう行こうと騒ぐ。
こんな、愚劣な映画はおれには似つかわしくないと思ったのだが、有働ちゃんも
おすすめのようだから、観にいった。
これは、まあ、富山の雄大な景色をバックに、定年を迎えた男女の熟年離婚のおはなし。
三浦が演じるオトコが、日本の典型的な古ぼけたオヤジだから、サッサト離婚して
しまえばいいと思うのだが、(どーみても、オトコが悪い・・)、最後はハッピーエンドだ。
この映画はだね、観ているのは幸せな熟年を迎えた、おしどり夫婦が多いということ。
離婚、離婚とマスコミは騒ぐけれど、幸せな老後を迎えている、日本人も大勢いる。
だいたい、すこしオカシナ人間ほど、大声を出すものなのだ。
ばついち、なんていうのは、決してほめられた存在でもないのに、平気でバツイチですと
喜んでいうバカがいる。
腐った果実は確実に伝播していく、そのことを忘れないことだ。
この映画は、倦怠期を迎えた、壊れる前の夫婦にみせたいと思ったのだが、
がははは、そーゆう人間は、また、観にいかないものだ、それが人生の皮肉で
面白いところ。
で、離婚というと、色川先生の直木賞「離婚」
おれには、こんにちのいわゆる離婚を先駆的に描いた名作だと思うのだが、
なぜ、突然、離婚の話をしだしたって?

それは、トキコショーを観ていたオバサマたち。
ピアスなどしない、おんなっ化のない、オンナが多かったということだ。
おんなを一瞬にして見抜くおれの眼力は、半分以上は、ダンナがいない女にみえた。
離婚したんだか、最初から結婚してないのか不明だが、この世には男と女しかいない。
自然の摂理は、子孫の継続を定めている。
その定めをかなえられなかった人間たち、あるいは、一時的に定めを近い世界に
身をおいたにしても、そのような世界で小さな幸せを得られなかった人間たち。
自然の摂理を反故にした人間を外道という。

トキコおばさまと子分の関係は、なにやら、外道の世界にみえたのだ。
だから、あの独特の濃厚さが表出され、オンナヒトリで生きてるカッコウ良さみたい
ものを身内だけで祝福しあうという。
おれには別に、格好のいい、オンナの集団には見えなかったけれども^^

ただ、外道であっても、ヤクザであっても、暴力団であっても、おれは、べつに
どーでもいいんだ。
まさに、生きてりゃいい。
外道というのは、汚れた立場ではなく、あちらがわの世界の話にしてもケッコウ
純粋無垢な話。
そのことを、伊集院は言いたかったのかもしれない。
ただ、やたら人間の器だの格好よさだのにこだわったイヤミがあり、全体として
書き急いだ感があるのが残念だ。

おれも外道のように生きたかったんだと、ときどき思うこともあるが、おそらく
外道として生きるには、度胸もなく、小さな幸せが回りに充満していて、寄り道する
ヒマがなかったんだろう。

おっと、そろそろ、おでかけする時間だ。

透明にいきてる人間には、透明なとばりしかおりない。
みなさまといつか、空気のさきにある世界でお会いできる日を楽しみに。
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by sniperfon | 2011-12-28 10:26  

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