2014年 06月 10日 ( 1 )

 

乾いたひとたち

「バルテュス」という画家のことを教えてくれたのは、
「ふぉんふぉん」という熱い女性でありました。
誠実なひとで、僕を裏切ることがなかった。
いま東京都美術館で、「バルテュス展」をやっています。
このあいだいってきました。
いろいろと評価のわかれる強めの作品が多いのですが、
気に入ったのは

「読書するカティア」
d0150305_20331180.jpg


柔らかい筆致と、水墨画のような空気を混ぜ込んだ透明感。
足先が厚めの絨毯にかすかに沈みこみ温かい。
顔の描写が構図としては明らかにおかしいのですが、
その奇妙な目線が不思議な雰囲気を醸し出しています。
画集でみても、それほど惹かれる作品ではなかったん
ですけどね。
モデルは白人ですが、このカラダは明らかに東洋的でありまして、
まるで節子夫人の肉体を連想させるようではありませんか@@
1968年といいますと20代の節子と知り合った頃でしょうから
心のやすらぎを得て、静謐な東洋美を紡ぎ出したのでしょうか。

ピカソがなぜ「バルテュス」を激賞したか、アタシにはいままで
不明だったのですが、この光と色彩にあったのだと、いまは
得心しました。
画集と原画のあいだには遙かな距離がある。
まさに「バルテュス」の絵はその通りでした。
「ふっくら」とした温かさと「くすんだ」重層的な厚み。
ほんとうに微細な光の採掘と照射。
スーラの点描のようですが、もっと荒々しいタッチのために
くすんだ柔らかさが絶妙にでています。
カーペットの色が緋色(ひいろ)・鉛丹色と巧妙に配色され、
シャガールの緑のようですが、シャガールのように薄い油ではなく、
深みを伴っている。
もちろんバルテュスの緑が絶品なのは、みなさまご承知の通り。
初期の作品には筋肉質的な肉体をもった少女、そして、必ず
こちらの現実に背をむけた人がいる。
その人々は乾いた異邦人のようであり、さりとて虚無的じゃない。
アタシは、そんな人々が気に入って、「バルテュス」の絵世界に
入っていったのだが、彼の絵は節子を知った頃より変化していく。
それじゃ、乾いた人たちは立ち去ったかといえば、やはり
「バルテュス」の心は、いつまでも、一切に迎合することなく、
乾燥した自然のなかで異方向に生きていたといわねばならない。
あの有名な鏡・ネコ・少女シリーズを晩年に描いたということに、
アタシはただただ、驚くのです。

会場の出口に、いろいろ写真が飾られています。
すぐれて芸術的であるといえるのは、「グラン・シャレ」の山莊に
たたずむ画家と、

d0150305_21444890.jpg


感動的な、節子とのショット
d0150305_2035373.jpg


篠山紀信は、この作品だけで永遠を手に入れた。

われわれは、バルテュスの「絵画から人物像に至る」、騎士道的な骨
そのものに感動しているようです。

さて、愛とはなにか。
バルテュスの葬儀のときに、節子が墓の上に泣き崩れていました。
あの写真を、アタシは生涯忘れることができない。
節子がモデルとなったこの絵。
d0150305_22321293.jpg

会場にはもう一枚、浮世絵と右に描かれた、もっと濃厚な絵も飾られていました。
女の愛、というものの凄さが、この絵からしずかに滴ってくるのを、
あなたも感じますか?
[PR]

by sniperfon | 2014-06-10 20:33 | Comments(2)